2014年6月23日月曜日

複数国籍を考えるエッセイ2 国籍と戸籍

国家が国民に国籍を付与するためには、何らかの手段で国民を管理しなければならない。アメリカでは個人単位の国民管理を行っている。欧州では主に家族単位での国民管理を行っている。例えばスイスの各家族は家族手帳を有していて、これに変更が生じた場合、居住地の役所に届け出を行わなければならない。大別すると、このように、個人単位の管理か、家族単位の管理かにわけられる。

日本では戸籍と呼ばれる、世界でもユニークな形態による家族単位での国民管理を行っている。戸籍はそもそも中国が発祥の人民管理法で、戸と呼ばれる家族集団単位で管理したことに由来する。そもそも戸籍の目的は、税金の徴収、徴兵の為で、間違っても人民への福利厚生に資するなどというものではなかった。目的が徴税、徴兵だから、男しか登録もされなかった。

日本も飛鳥時代からこれを取り入れ、戸籍の整備を試みている。しかし、戸のない日本では定着しなかった。戸籍は放棄され、江戸時代では宗門人別帳などで管理された。明治維新が起きると、再び戸籍制度が導入されたが、明治の戸籍は戸ではなく、家制度という家長を頂点とする家単位の管理制度だった。戸籍というより、家籍だ。そして戦後になって、夫婦を基本とする現在の戸籍制度が整えられた。因みに戸籍の発祥の地である中国では、既に形骸化しているのだそうだ。戸籍制度は世界でも日本のみで未だ機能している稀な国民管理制度といえる。

戸籍は先述したとおり、そもそも徴税、徴兵のためのものであるから、文明開化の後、明治政府により速やかに整えられた。明治4年には既に戸籍法が発布されている。これに対して、日本国民の身分を保証する国籍法はそれより28年遅れる事、明治32年になって初めて発布されている。

明治政府は国民の国籍管理など関心がなかったのだろう。政府の管理下にある国民から税金が取れ、徴兵できれば十分であることは容易に伺える。しかし近代国家への整備の過程で、日本国民の地位を規定、保証する法律が求められた。それで仕方なく西洋の例を基本にして法整備した、という観が否めない。国籍法は発布されたが、その国籍法には国民の国籍を管理する方法についての記述がない。実は現行の国籍法にもそれはない。

政府の回答によれば、日本国籍の管理は戸籍によるという。国籍法によって日本国籍を有する者は、戸籍を登録する義務が生じる。よって日本国籍のある者は戸籍登録されるから、戸籍によって管理が出来るという寸法になっている。ところが、前述したように、日本国民が戸籍登録を拒否される場合がある。あるいは国籍法を知らず、日本国籍を有しているにも関わらず戸籍登録していない、という人もいる。反対に、日本国籍を喪失しているのに、それを知らず戸籍を抹消していない、という人もいる。


国籍管理という面では、戸籍には不備があるのだ。特別な事情を勘案した柔軟な出生の登録や、自動的に国籍を失う制度についての改善を行わないと、こうした問題を解決することは出来ない。

補足だが、明治政府は当初から西洋人と日本人との国際結婚が増えることを予測していた。そこで、明治6年に太政官布告第一〇三号「内外人民婚姻条規」が発布され、政府の許可によって国際結婚が認められことになった。この内外人民婚姻条規に「一、外国人に嫁したる日本の女は【日本人たるの分限】を失うべし・・・」という文言が出てくる。旧国籍法が発布され、日本国民が法的に定義されるまでは、日本人であることについては【日本人たるの分限】が用いられた。この期間は個人の国籍と「家」の一員としての身分が未分化なことから「分限主義時代」とも呼ばれる。

0 件のコメント:

コメントを投稿