2016年9月30日金曜日

日本維新の会の「公職に係る二重国籍禁止法案」に反対する


日本維新の会が「公職に係る二重国籍禁止法案」を去る2016年9月27日に参議院に提出した。維新の会のホームページで確認すると、法案要綱があって、以下の通りだった。
https://o-ishin.jp/houan100/pdf/outline004.pdf

公職選挙法の一部を改正する法律案要綱

一 外国の国籍を有する日本国民(国籍の選択をしなければならない期間内にある者及び日本の国籍の選択の宣言をした者を除く。)は、衆議院議員及び参議院議員の被選挙権を有しないものとすること。(第十一条の二第二項関係)

二 衆議院議員又は参議院議員の選挙における選挙公報の掲載事項として、外国の国籍の得喪の履歴(外国の国籍を有する者にあっては、国籍の選択をしなければならない期間内にある旨又は日本の国籍の選択の宣言をした旨を含む。)を明記すること。(第百六十七条第一項及び第二項関係)

三 この法律は、公布の日から起算して六月を経過した日から施行すること。(附則第一項関係)

四 その他所要の規定の整備を行うこと。

以上

この法案には反対である。

第一には、この法案の実効性に疑問が生じる。この法案の運用には外国の国籍を有する日本国民を確実に把握する必要がある。外国の国籍を有する日本国民を洩れなく把握するためには、重国籍者名簿を作る必要があると、法務省は過去の国会質疑で答弁している(注1)。しかしその名簿の作成は人権擁護等の観点から問題があり、昭和59年の国籍法改正当初から作らないとしている。この法案は運用上、作成すると人権擁護上問題が生じる重国籍者名簿を必要とするのだから、実効性に問題が生じると言わざるを得ない。

法務省は、複国籍となった者を推定するために、戸籍の記載事項を基にする。このとき、配偶者が外国籍であり、その一方の国の国籍法が配偶者の子に当該国の国籍を与える場合、複数国籍者になっていると推定する。また、日本国民夫妻の子でも、外国で出生し、出生した国が生地主義を取って子に出生国の国籍を与える場合、親から国籍留保届けが出されていれば複数国籍者になっていると推定する。

これはあくまで推定であって、事実外国籍を有しているかは、本人が当該国の国籍を証明する書類等を提示しなければ確定できない。何故なら、親が一方の国に出生届けを出していなければ、複国籍にはなっていない。また、一方の国の国籍留保制度などで、外国籍を喪失している場合などが考えられる。

よって、法務省が複数国籍者名簿を作成しようとすれば、この推定複国籍者にその証明書の提出を求めなければならない。これを確実にするためには、法律によって義務化する必要が生じる。これの義務化は、不当に推定複国籍者を圧迫、差別化するもので、人権侵害である。また、仮に義務化しても、全ての推定複国籍者がこれに応じるとは考えられない。現に、現行法制下で国籍選択を行う者が一割いるかいないかと推定されている状況からすれば、この義務化も確実に形骸化する。

仮にこの法案が可決されたと仮定する。公職選挙法によって複国籍者で日本の国籍選択をしていない者は立候補を拒否される。しかし、戸籍からは本人が複国籍者であることは推定されるが、証明は出来ない。よって、戸籍を基にして当該人物の立候補を拒否することは出来ない。また、日本政府が推定される一方国に国籍の有無を確認しても、内政干渉として拒否される。このように、仮に法案が成立しても、現状では複国籍者の立候補を拒否する術を持たない。

第二に、戸籍の記載事項から推定される複国籍者を一律立候補拒否し、もしその中で複国籍者でなかった者が出たならば、重大な人権侵害行為となる。例えば、上述のように一方の国に出生届けが出されていなかった。また、本人の知らない間に、親が代理人として一方国の国籍を離脱させていて、実は日本国籍しか有していなかった、などの場合が考えられる。

第三に、国籍法では国籍選択しない者の罰則は、法務大臣名の催告だけである。しかも、催告自体が義務ではなく、法務大臣の裁量によるもので、現在に至るまでこの催告は出されていない。このように国籍選択制度は実態として形骸化している。かつ罰則も大幅な裁量の上に立っている。それにも関わらず国籍選択をしないという理由で、複国籍者の被選挙権まで剥奪するのは、法制のバランスを大きく欠くものだ。

この法案は、実効性がなく、その運用に人権侵害の問題を有し、不適切な運用によっては重大な人権侵害を生じさせ、かつ現行法制のバランスを欠く、極めて稚拙な法案といえる。

ここまでは法案自体の考察だが、日本維新の会はこの法案を「蓮舫法案」と呼んでいる。理由は、蓮舫氏は国籍選択をせず、台湾国籍の維持を続けていた。これの釈明も二転三転し、経歴詐称、旅券虚偽申請疑惑があるからだという。

しかし、これは蓮舫氏の個人的な事柄である。この件で、今回の法案に関係するのは、蓮舫氏が台湾国籍を有していた点と、国籍選択をしていなかった、という点だ。

蓮舫氏が国籍選択をしていなかった、それをとってこの法案提出は飛躍のし過ぎだ。複国籍者が期限を過ぎて国籍選択をしていなくても、法務大臣の裁量による催告を受けるだけである。催告を受けた後に国籍選択をしても合法の範囲である。なお、蓮舫氏は自身の判断によって、催告前に台湾国籍を離脱して、日本国籍を選択している。

また、蓮舫氏が台湾国籍を有していたことを問題視するなら、台湾国籍だけを問題視すればいいだけであって、全ての複国籍者の被選挙権まで剥奪させる必要はなく、これもあまりにも飛躍のし過ぎである。

公職者の複国籍全般について問題視するなら、蓮舫法案と呼称するのはおかしい。外国籍には、アメリカ合衆国、カナダ、フランス、イギリスなどの国も含まれるし、蓮舫氏は大勢いるうちの一人の複国籍者であったに過ぎない。蓮舫という個人名への象徴化は馴染まない。

よって、この法案を「蓮舫法案」と呼ぶのは不適切と言わざるを得ない。

蓮舫氏が注目されるのは、氏が民進党の党首であり、民進党が仮に政権を取れば、蓮舫氏が総理大臣になるかも知れないとの予測からだ。一国の代表が複数国籍者でいいのか、という議論は成立の余地がある。しかし、それはそういうことも前提とした選挙で結果を出せばいいことだ。本法案のように、法律で人権を侵害してまで、国籍を理由として被選挙権を剥奪し、公職者資格を制限するには及ばない。フジモリ元ペルー大統領は、ペルーと日本の国籍を有していたことが知られている。フジモリ氏は日本の参議院にも立候補したが、複国籍を理由とした批判は聞かれなかった。

外国では複数国籍者の外交官もいる。それで問題は起きていない。英国のボリス・ジョンソン現外相は、ニューヨークで生まれ米国籍も保有する複数国籍者で、2012年には米国のパスポート(旅券)を更新している。(注2)

また、台湾籍であったから氏を批判の対象としたのなら、特定の国籍を持つ者をその国籍を理由に差別することであり、卑劣である。台湾人はスパイではないし、台湾人は日本の治安悪化を望んでいない。台湾人は平和で豊かな社会を望んでいる、善良な人々がほとんどである、と考えるのが自然だ。であれば、台湾籍を併せ持っていたとして、日本の国会議員としての欠格事由は存在しないし、むしろ日台の友好関係に寄与し、日本の国際化に有益ですらある。喧伝するデメリットより、よほどメリットの方が多い。

また、氏の一方の国籍がアメリカ合衆国だったら、果たしてこれだけ問題視出来ただろうか。国民はむしろ歓迎的であったかもしれない。それにアメリカ合衆国の国籍をいたずらに政治問題化させれば、外交上にも悪影響を及ぼすだろう。アメリカは、日本は自国民を、アメリカ国籍を持つとの理由だけでスパイ扱いなどをすると受け止めるだろう。日米関係に悪影響を与える可能性がある。

日本維新の党は、蓮舫議員を攻撃するために、複国籍を政治利用している。複国籍者は違法な存在であるといわんばかりに差別し、さらに台湾籍を中国籍とリンクさせ、台湾も中国だといわんばかりに敵視している。これは日台友好関係にもひびを入れるものだ。この法案も、その道具の一つとして参議院に提出されたものと言わざるをえず、その政治手法は卑劣かつ低俗である。選民的な純血主義の発想であり、平和で豊かな社会を望む国民の利益など毛頭も顧みられていない。加えて法案自体も稚拙である。

この法案は、廃案とされなければならない。


(注1)
衆議院法務委員会議事録 平成十六年十一月十七日(水曜日)
 政府参考人  房村 精一 法務省民事局長
房村政府参考人  この「国籍選択について」という文書の通知について、必ずしも重国籍の方々すべてには行っていないという点につきましては、これは重国籍の方々を漏れなく厳格に把握しようと思いますと、重国籍者名簿といったようなものを国の責任でつくらざるを得なくなるわけでございますが、そのような管理の仕方をするということは、国が重国籍者を差別的に扱っているという誤解を招きかねないということから、この国籍選択制度を創設した当初から、そういった漏れなく把握するような仕組みはつくりませんということといたしているわけでございます。

(注2)
愛国化する世界──蓮舫氏の二重国籍とフランスの「国籍と名前」論争 木村正人
http://www.newsweekjapan.jp/kimura/2016/09/post-19_3.php

2014年7月6日日曜日

複数国籍を考えるエッセイ4 国籍取得と喪失の変遷2

国籍法を見て行くと、とても不思議な事に気付く。国籍法が最初に発布されたときから、日本国籍の与えられる要件が「日本国籍を有する父の子」なのだ。これは国籍法が発布される以前に、既に日本国籍が存在していたということだ。要するに国籍法には、日本国籍が存在するための初期条件が欠落しているのだ。一体誰が最初に日本国籍を持っていたのだろう。

法文にはないが、順当に考えれば、明治政府が成立して最初に整えた戸籍に登録された人々が最初の日本国民なのだろう。これらの人々は当時、日本で生まれ、生活していたから日本国民になったといえる。

国籍が与えられる要件として、国籍のある者の子に生まれたことを条件とする制度を「血統主義」という。よって、日本の国籍法は「血統主義」をとっている。旧国籍法のように父親からのみ子に国籍を伝えられる制度を「父系血統主義」といいい、現行国籍法のように父親と母親の両方から国籍を伝えられる制度を「両系血統主義」という。因みに、母親からのみ子に国籍を伝えられる「母系血統主義」をとる国はない。調べたところみつからない。

しかし、血統主義だけを採用して国籍を与えるには無理がある。前述したように、そもそも国籍を最初に取得する人の親には当該の国籍がない。その国が成立した時、その国民である人達は、その国の領域で生まれ育った人々だ。一般にその国の領域で生まれた子に国籍を付与する制度を「生地主義」という。国が始まるとき、その国民となる人々は「生地主義」的な要件によって国籍が与えられる必要がある。

また、捨て子など両親の知れない子に国籍を与えるためには、血統主義では適わない。出自が知れないので、親から子に国籍を伝えることが出来ないのだ。こうした場合を想定して、旧国籍法でも「両親が知れず、日本で生まれた子」には日本国籍が与えられるとしている。これは限定的だけれど、生地主義だ。日本の国籍法の様に、原則としては血統主義を採用し、補足的に限定的な生地主義を採用する国は、ヨーロッパに多い。というか、日本の国籍法がヨーロッパの国籍法をひな形にして作られている。


日本が父系血統主義から両系血統主義へと移行したように、ヨーロッパの国々も父系血統主義から両系血統主義へと移行していったという歴史的経緯がある。現実的には、まずヨーロッパが両系血統主義へと移行し、それに追随して日本も両系主義に移行したといった方が正しい。理由は、母親から子へ国籍を伝えられないのは男女差別だからだ。一般的に、長い歴史と伝統を持つ国家は血統主義を採用し、アメリカを代表とする歴史の浅い移民国家は生地主義を採用している。

複数国籍を考えるエッセイ5 国籍取得と喪失の変遷3

旧国籍法では、外国人と結婚した女は日本国籍を失った。この規定は日本の家制度の影響を色濃く受けている。すなわち、外国の他家に嫁いだ女は、嫁ぎ先の国民となるべきだ、という考え方だ。しかし、諸外国は日本の家制度とは異なるそれぞれの伝統があり、法律がある。例えば、英国は自国民に国籍喪失をさせることに極めて消極的だったし、フランス人の女も結婚によって国籍を失うことはなかった。スイスもフランスと同様に、スイス人と結婚した女にはスイス国籍が与えられたが、スイス人の女が結婚によってスイス国籍を喪失することはなかった。これは無国籍を防ぐという観点からだ。

日本の旧国籍法のように、結婚により女から強制的に国籍を喪失させると、結果的に無国籍を招く。国によっては外国人妻の国籍取得に色々な条件があるからだ。結局日本も、外国人との結婚によって外国籍を取得できない場合は日本国籍を維持できるという法改正を迫られた。現行国籍法ではこの条項がそっくり削除された。

日本の国籍制度は家制度を礎として、基本的には男尊女卑なわけで、男の帰化に際しては優しかった。帰化した者の妻子にまで国籍が与えられた。一方で自己の意志で外国籍を取得した者には一貫して国籍を喪失させている。外国籍の取得、すなわち他家に仕えるという発想なのだろう。こうした認識もヨーロッパでは薄い。典型的な例は、中世の英国王。フランスのノルマンディ公が海を渡って英国に侵略し王様になってしまった。なので、英国では王、フランスでは国王の家臣という二つの地位を有していた。それで問題にもなっていない。

明治維新以降、日本は国民総下級武士化したようだ、そもそも明治維新を成し遂げた中心が薩長の下級武士だった。血統を重んじ、かつ清貧にて忠誠心に厚い、そんな武士像を国民に押し付けたのではなかろうか。四民平等、廃藩置県、そして大日本帝国憲法で国民は皆帝国臣民とされた。

旧国籍法では、子供の認知によっても国籍が与えられた。因みに認知による国籍付与はヨーロッパで多かった。日本もその点を学んだようだ。しかし、戦後これが削除された。最近になって現行国籍法でも認められてきたが、最高裁の違憲判決が出て政府は重い腰を渋々あげたのだった。旧国籍法は、家制度の影響で外国人と結婚した女には冷たかったが、当時として国籍付与には欧米並みの寛容さがあったといえる。


さらに、明文化されている訳ではないが、日本人と結婚した外国人の女には複数国籍が黙認されていたし、日本人夫と外国人妻の間に生まれた子や外国で生まれて外国籍を得た子についても、複国籍が黙認されていた。明文化されていないので積極的に認められていたという訳ではないが、限定的な条件のもと、複国籍が合法的に容認されていた、という解釈も出来るだろう。

2014年6月27日金曜日

複数国籍を考えるエッセイ3 国籍取得と喪失の変遷

日本において国籍に関する法律は「国籍法」で規定されている。では、日本政府は日本国民に対して、法律によってどのように国籍を与えたり奪ったりしているのだろうか。意外な事に、日本の国籍法は日本人に国籍を保証するだけでなく、喪失をさせたりもしているのだ。

日本の国籍法はおおまかに4回の変遷を経ている。(1)まず最初が、明治32年発布の旧国籍法(國籍法・明治三十二年法律第六十六号)。(2)次が戦後に全面改定された現行国籍法(昭和二十五年五月四日法律第百四十七号)。(3)次いで、現行国籍法が昭和59年に改訂される(昭和59年法律第45号 国籍法及び戸籍法の一部を改正する法律)。(4)最後に、恐らく皆さんの記憶に新しい平成20年の現行国籍法の一部改訂(平成20年法律第88号 国籍法の一部を改正する法律)。

(1)  最初の旧国籍法では、以下に該当する場合日本国籍が与えられた。
・父親が日本国籍を有している子。
・父親が知れず、母親が日本国籍を有している子。
・両親が知れず、日本で生まれた子。
・日本人の妻になった女。
・日本人の入り婿になった男。
・日本人の父又は母に認知された子。
・日本人の養子になった子。
・帰化した者とその妻子。
次いで、以下に該当する場合日本国籍が喪失された。
・外国人と結婚した女
・自己の志望によって外国籍を取得した者
・結婚や養子によって日本国籍を得た後、その縁組の解消をした者(ただし、兵役を経た17歳以上の男子は除く)

(2)戦後の現行国籍法では、以下に該当する場合日本国籍が与えられた。
・父親(出生前に死んでいても)が日本国籍を有している子。
・父親が知れず、母親が日本国籍を有している子。
・両親が知れず、日本で生まれた子。
・帰化した者。
次いで、以下に該当する場合日本国籍が喪失された。
・自己の志望によって外国籍を取得した者
・外国に生まれたことによって外国籍を取得した子で、出生より14日以内に国籍留保届けがされなかった子。

(3)  昭和59年の改訂によって以下に該当する場合、国籍が与えられた
・父親(出生前に死んでいても)あるいは母親が日本国籍を有している子。
・両親が知れず、日本で生まれた子。
・婚外子で、父より生前に認知された子、あるいは未成年のうちに父母が結婚した子。
・帰化した者。
次いで、以下に該当する場合日本国籍が喪失された。
・自己の志望によって外国籍を取得した者
・出生によって外国籍を取得し、外国で生まれた子で、出生より国内において1か月、国外において3か月以内に国籍留保届けがされなかった子。
・外国籍を有した者で、期限内に国籍選択をせず、法務大臣名の文書による催告を受けた後一か月を経過した者。(ただしこれは法務大臣の裁量によるもので、今日現在催告がなされたことはない)
・外国籍を有したもので、外国において当該国籍の選択をした者。

(4)  平成20年の改訂では、婚外子に関してのみ、以下の要件のように国籍取得が緩和された。
・外国人の母より生まれ、日本国民の父に認知された未成年の子。
(以前はその子が生前に認知される必要があった)

補足であるが、日本国民が日本国籍を離脱することについては、旧国籍法にはその規定がなく、戦後の現行国籍法から盛り込まれている。戦前においては一度取得した日本国籍は、自らは離脱できなかったということになる。ただし、現行国籍法においても、国籍離脱が出来るのは外国籍を有する日本国民に限られる。日本国籍しかない者は、今も昔も日本国籍を離脱することは出来ない。

但し、日本国憲法の第22条2項には「何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない」とある。無国籍者を作らないという国際的な努力の観点からすれば、無国籍にならない為の制限が国籍法にあるのはやむなし、との見方も出来なくはない。皮肉なのは、外国籍を自己の意志で取得した者は、日本国籍を離脱するどころか、強制的に喪失されられるのであって、全く憲法の保障する国籍離脱の自由によるものではない。


名城大の近藤敦教授は、憲法第22条2項の国籍離脱の自由権は、国籍維持の権利と対になっていると解釈すべきで、現行国籍法の強制的な国籍喪失条項は、憲法に抵触する疑いがあるとの見解を示している。

2014年6月23日月曜日

複数国籍を考えるエッセイ2 国籍と戸籍

国家が国民に国籍を付与するためには、何らかの手段で国民を管理しなければならない。アメリカでは個人単位の国民管理を行っている。欧州では主に家族単位での国民管理を行っている。例えばスイスの各家族は家族手帳を有していて、これに変更が生じた場合、居住地の役所に届け出を行わなければならない。大別すると、このように、個人単位の管理か、家族単位の管理かにわけられる。

日本では戸籍と呼ばれる、世界でもユニークな形態による家族単位での国民管理を行っている。戸籍はそもそも中国が発祥の人民管理法で、戸と呼ばれる家族集団単位で管理したことに由来する。そもそも戸籍の目的は、税金の徴収、徴兵の為で、間違っても人民への福利厚生に資するなどというものではなかった。目的が徴税、徴兵だから、男しか登録もされなかった。

日本も飛鳥時代からこれを取り入れ、戸籍の整備を試みている。しかし、戸のない日本では定着しなかった。戸籍は放棄され、江戸時代では宗門人別帳などで管理された。明治維新が起きると、再び戸籍制度が導入されたが、明治の戸籍は戸ではなく、家制度という家長を頂点とする家単位の管理制度だった。戸籍というより、家籍だ。そして戦後になって、夫婦を基本とする現在の戸籍制度が整えられた。因みに戸籍の発祥の地である中国では、既に形骸化しているのだそうだ。戸籍制度は世界でも日本のみで未だ機能している稀な国民管理制度といえる。

戸籍は先述したとおり、そもそも徴税、徴兵のためのものであるから、文明開化の後、明治政府により速やかに整えられた。明治4年には既に戸籍法が発布されている。これに対して、日本国民の身分を保証する国籍法はそれより28年遅れる事、明治32年になって初めて発布されている。

明治政府は国民の国籍管理など関心がなかったのだろう。政府の管理下にある国民から税金が取れ、徴兵できれば十分であることは容易に伺える。しかし近代国家への整備の過程で、日本国民の地位を規定、保証する法律が求められた。それで仕方なく西洋の例を基本にして法整備した、という観が否めない。国籍法は発布されたが、その国籍法には国民の国籍を管理する方法についての記述がない。実は現行の国籍法にもそれはない。

政府の回答によれば、日本国籍の管理は戸籍によるという。国籍法によって日本国籍を有する者は、戸籍を登録する義務が生じる。よって日本国籍のある者は戸籍登録されるから、戸籍によって管理が出来るという寸法になっている。ところが、前述したように、日本国民が戸籍登録を拒否される場合がある。あるいは国籍法を知らず、日本国籍を有しているにも関わらず戸籍登録していない、という人もいる。反対に、日本国籍を喪失しているのに、それを知らず戸籍を抹消していない、という人もいる。


国籍管理という面では、戸籍には不備があるのだ。特別な事情を勘案した柔軟な出生の登録や、自動的に国籍を失う制度についての改善を行わないと、こうした問題を解決することは出来ない。

補足だが、明治政府は当初から西洋人と日本人との国際結婚が増えることを予測していた。そこで、明治6年に太政官布告第一〇三号「内外人民婚姻条規」が発布され、政府の許可によって国際結婚が認められことになった。この内外人民婚姻条規に「一、外国人に嫁したる日本の女は【日本人たるの分限】を失うべし・・・」という文言が出てくる。旧国籍法が発布され、日本国民が法的に定義されるまでは、日本人であることについては【日本人たるの分限】が用いられた。この期間は個人の国籍と「家」の一員としての身分が未分化なことから「分限主義時代」とも呼ばれる。

2014年6月22日日曜日

エッセイを書いてみて・・・

エッセイを書いてみたのですが、なんか堅苦しいかなぁ、と思ったりします。日本が国際化すればするほど、日本人は外国に行き、外国人は日本に来ます。観光で、家族訪問で、移民で、仕事の為、結婚で、など色々な理由で、日本人が、外国人が、相互に行き来します。

国際結婚などはまさしく愛は国境を超える、微笑ましい行為だと思うのですが、日本の国境の壁はまさに愛の障壁という印象を拭えません。何故欧米の様にいかないのか、頑なに遅れたままなのか、そんなもどかしさも感じる今日この頃です。

しかし、現状を変えて、日本にも「愛は国境を超える」環境を整えるためには、やはり日本の過去を知り、歴史的経緯も考慮の上に立って、現実的には何から改善すべきかを知らなければならないでしょう。

国、制度、歴史、そうしたものの共通認識が土台とならなければ、こと日本では! 愛が国境の壁に負けてしまいます。ということで、暫くは「愛」とは関係の薄い、国家や国籍の土台の部分に焦点を当ててみたいと思っています。

またゆくゆく、日本を離れ、海外で活躍する人の為にもなれればと思います。さらに日本人と外国人が、双方に互恵的環境を築けるならば、それに越したことはありません。私も仕事のもつれで、スイスで訴訟問題を起こした経験があり、現実の厳しさは感じていますが、それで閉じこもっていたのでは発展がありません。

次回のエッセイは、「国籍と戸籍」について触れます。

2014年6月20日金曜日

複数国籍を考えるエッセイ1 国家と国籍

複数国籍について、つらつら考えてみたい。

日本人にとって日本国籍があることはほぼ当然なことなのだけれど、日本に住んでいる日本人にも日本国籍がなかったり、世界中には国籍がない人が約1200万人もいる。例えば、日本では日本人の両親から生まれたのに、出生届けが受理されず、戸籍がないため無国籍の状態にある人が存在する。これらは国際的な問題で、無国籍をなくそうという努力が国際的にされている。

国籍があるためには、国家が存在し、その国家の法律によって国籍が付与される、という条件が必要だ。だから、国籍が与えられなかった場合、国家が存在しない場所で生まれ育ったか、帰属していた国家が消失してしまった、などという場合が考えられる。2004年の映画『ターミナル』では、主人公の帰属する国家がクーデターで消滅し、アメリカに入国できず、空港のターミナル内での生活を余儀なくされたが、これなどが一例として考えられる。

また、国家が存在しているにも関わらず、その国家の法律によって、国籍の付与が成されない場合がある。日本で話題になった例は、夫の暴力の為家出した妻が子を産み、出生届けを出そうとしたが、失踪者扱いになっているため届け出を受理されず、子供が無戸籍となってしまった例などがある。法的には無戸籍であっても、日本国籍は存在するのだけれど、パスポートも作れないし、就学の通知も来ない、選挙権も停止される。この様に事実上は日本国民の扱いを受けないから、無国籍の状態と同じになってしまう。またラトビアという国はソビエト連邦から独立した歴史的過程で、国内在住のロシア人など約35万人が未だ無国籍でいる。

調べてみると、無国籍というのは世界的な問題で、かつ日本でも存在するのである。では、国籍の前提となる国家とはいったいどういうものなのだろうか。

国家の三要素というものがある。この三つが揃わない限り、国家は存在しない。それは、領域、人民、権力ないしは主権の三つ。領域、人民というのは大変わかりやすいが、権力というのはわかりにくいかも知れない。権力はおおざっぱに言えば、正統な統治機構、政府だ。だから国家は、権力が領域と人民を内外の干渉を許さず統治する存在と定義されている。

国際的には、この三要素を他国が承認して初めて国家として認識される。これもややこしい。例えば、ある国が独立したとする。それを他国家が承認すると、それを承認した国々では、その国は国として認められる。しかし、承認していない国では、国家として認められないから、承認していない国では、その国民の国籍も存在しない。例えば、日本は台湾を国家として承認していないから、日本国内において台湾国籍は存在しない。


日本の様に長い歴史を持つ国は、国家が悠久に続くという認識を持ちやすいが、大陸の小国などは、国家の存在は実にあやふやなものと言わざるを得ない。そして国籍があるということも、実はあやふやな地位なのだろう。