2010年3月18日木曜日

外国人地方参政権に関して

外国人地方参政権も何かと複数国籍の問題に絡んでくる、国際関係を背景とした人権問題である。私は地方参政権に関しては賛成の立場を取っている。それは世の中が国際化するにつれ、国家という枠では救え切れなくなった人権の空白を、複数の市民権のあり方を導入することによって、解消していこうという歩みだからだ。例えば、EU諸国では、出身国の市民権とEU市民権が存在しているし、このEUの個別国家を見て行くと、永住市民権も発達してきている。

こうした複数市民権の発展は、複数国籍の容認と言う事と無関係ではなく、そもそも複数国籍の容認自体が複数市民権の許容の結果と言える。

人の活動はえてして国家の境を超える。しかし国家は国家内の人権などについて整備を行うものの、その枠を超える整備についてはなかなか対処できないのが現状である。個人はそうした国家の限界によって、様々な人権の空白による侵害に苛まれるのである。

永住市民権、EU市民権、複国籍容認などは欧米の先進国が実現している、こうした国際化する社会においての人権の整備であるが、日本はまだまだ後塵を拝している。

ここでは、特に日本の永住者等の地方参政権について扱ってみたい。

7 件のコメント:

  1. 誰が日本国民、日本人か

    日本国民ならば、国籍法から日本国民たる要件がわかり、日本国民、すなわち日本国籍を有しているかいないかがわかる訳ですが。実は長い歴史的な経緯があっ て、日本国民を記録しているのは戸籍なんですね。この戸籍は国籍の有無を証明するだけではなく、様々な国民の身分関係を記録する制度で、戸籍法によって運用されています。

    国籍法と戸籍法は連動しているのですが、国籍の得失に関して言えば、機能していません。そういった事で、本来日本国籍を失うべき「フジモリ元ペルー大統領」に日本国籍が残っていたりしました。現在も、国籍法上日本国籍を喪失しているのに、戸籍には記録が残っているため、実質日本国籍を維持している方々が相当数います。

    これに対して行政はどう対応しているかと言うと、職務上それを知りえたならば、国籍喪失届を強制的に提出させます。しかし、それ以外の執行手段が ないため、例えば自分のHPに私は日本国籍を喪失しています、と公表していても、それは職務上知りえた情報ではないため、お咎めなしなのだそうです。

    この逆に、国籍法上日本国民であることが明白なのに、戸籍に登録されないために日本国民として扱われない、日本パスポートも発給されない、という事も起きています。

    誰が日本国民であるか、実はかなりあいまいなのです。

    日本国民という法的に定義すればすむであろう事でも、これだけ問題になるのに、「日本人」に至って は、これは共通の定義を生み出す事も不可能ではないかと思います。

    日本人と日本国民は必ずしも同一ではありません。外国で出生したため、両親が日本国民なのに日本国籍を得られなかった人は、 血統的には日本人といえますが、法的には日本国民ではありません。

    では、血統的に言って、ハーフ、クオーター・・・、これらの方々はどこまで日本人なのでしょうか。「私のおじいさんは、日本人だから、私も日本人 だ。日本人の血が流れている」と主張する人がいたとして、これを明確に拒む基準も見当たりません。

    血統的に日本との繋がりを見受けられないけれど、日本を良く理解し、日本語を話し、他の日本人との意思疎通が円滑に出来る人、この様な人は沢山います。この様な人が日本に長く住んでいれば、周囲の人はこの人を日本人だと自然に考えるでしょう。では、この人たちはもはや日本人ではないでしょうか。

    より偏狭に日本人の基準をとらえれば、両親が日本人でも日本人ではなくなり、より広範にとらえれば、日本の習慣を理解し、日本語での意思疎通に問題がない人まで、日本人に入ります。

    私は、日本人の基準についていえば、この広範にとらえる基準を支持しています。

    外国人の地方参政権に関して、もし、この様に日本人の基準を広範に捉えるならば、日本に住み、日本国籍のない日本人、すなわちほとんどの永住外国人がそれに入る事になり、日本の法律ではまだ対象とならない、この様な「日本人」に地方参政権が与えられる事になります。これはより多くの日本人を社会に統合させていく、市民社会の当然の姿に思います。

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  2. 永住外国人は広義の日本人の定義からいえば、日本人の範囲に入る

    私は広義の日本人の定義を支持しておりますので、永住外国人は既に「日本人」だと考えます。

    また、永住権は国籍に準ずる日本国内での居住権であり、永住外国人は準日本国民に位置する者と考えます。地方においては、永住外国人は生活共同体内の一員であり、日本人の一人です。 そもそも、日本人といえるのですから、地方参政権があって当然です。

    民主主義の国家において、永住外国人(もっとも、外国人という呼称は排外主義国家が用いる傾向にあり、共生主義国家は移民と呼んでいます)が地方参政権を得ている事については、これは世界的な潮流になっています。

    米国は永住移民の地方参政権に消極的ですが、そもそも移民に対して国籍取得が容易になっているうえ、出身国の国籍を放棄する必要がありません。

    永住外国人の地方参政権に対するオプションとして、こうしたことも選択肢に入ります。すなわち、移民に対して国籍取得を容易にさせ、国籍取得に生地主義を取り入れ、移民二世については無条件に国籍を与え、かつ複数国籍を容認する。

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  3. 一方的に国籍をはく奪された人々、偏見と圧迫を受ける人々

    在日朝鮮人には外地戸籍といって、もともと日本国籍がありました。
    これをサンフランシスコ講和条約の締結とともに、一夜にして彼らから日本国籍を奪いました。しかも、法改正なしに民事局長通達という、単なる通達一本でやりました。
    http://kouenkai.org/ist/docf/zainichinokokuseki.htm

    これがいかに理不尽であるかは、他の旧宗主国のそうした例をみないことからも明らかです。

    与えたものを、この様に理不尽に奪う事を日本はやっていた、ということにも注意が必要かと思います。過去にやったんだから、またやらないという保証がないですし、そうしないという担保を日本は今まで示して来ませんでした。

    過去に一方的な国籍はく奪といった、人権侵害、差別を行って来たのだから、その修復の一環として、特に特別永住者には地方参政権を与えるべきでしょうし、それとともに出身国籍の放棄を必要としない日本国籍の付与も必要だと思います。一方的に与えて、いらなければ本人が届け出によって離脱すればいいことです。

    こうした事は、過去に植民地支配をした旧宗主国といった国々が当然にやっていることです。

    私自身がスイスで外国人であるために、外国人の立場の弱さということについて身にしみる所があります。就職上のハンデ、アパート探しのハンデ、色々あります。スイス人に比べ、外国人の給与は低くなるのが相場です。仕事を得にくい、例え得られたにしても低所得に甘んじざるを得ない。

    外国人の多くは、こうした社会の底辺に押し込められているのが現状なのです。そして、スイスより日本の方がはるかに劣悪な現状にあります。スイスの労働監視局は、それでもかなり厳しく外国人へのこうした差別的な待遇について厳しく取り締まりを行っています。一方、日本では外国人労働者のパスポートを取り上げ、奴隷的な就労を強いるなど、言語道断の所業が未だまかり通っています。

    社会の底辺に押しやられ、そして社会からは無視され続ける人々、これが日本の多くの外国人の現状です。社会学的にはこうした社会的弱者への無視を、隠蔽圧力と呼んでいます。ひどい事をしておきながら、臭いものには蓋をしておくのですね。見たくないものは見ない、見ようとしない。

    日本には領土問題があるから、外国人の地方参政権は認められないという主張があります。選挙時に大挙して転居し、影響を行使する危惧があると言っています。しかし、こんな圧迫に苦しむ人々が、自分の生活からは程遠い領土問題などに関心を寄せる事が出来るでしょうか。今日の暮らしにやっとこでいる人々が、竹島などという、本来なら誰も住みたくもない島のために、兵庫県まで大挙して転居したりするでしょうか。また、米軍基地反対の為に、沖縄まで大挙して転居したりするでしょうか。こうした可能性はゼロです。何故なら、単なる数遊びをしているだけで、在日外国人の実態について何の考慮もないからです。

    私は日本国籍者でありますが、米軍は沖縄から出て行ってもらいたいと思っています。そもそも、沖縄に米軍がある必要性が消失しています。米軍は米国領であるグアムに基地があるだけで、中国や朝鮮半島への対応が出来るでしょう。日本にとっても、思いやり予算などの間接軍事費を削減できます。沖縄県民の感情にも同情しています。かといって、それの主張をしたいがために、今の仕事と、家族を犠牲にしてまで、沖縄に転居しようとは思いません。そんな事は不可能です。(沖縄は好きな所ですが)

    私も国防や国の事を考えます。国外にいても、日本が豊かで安全で、いい国であって欲しいと願っています。しかし、外国人として暮らす異国の地で、 自分のキャリアや生活、家族を犠牲にしてまで、国防や国政に熱中できません。全く同じ事が、日本に居住する在日外国人にも言えると考えます。

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  4. 特別永住者等の在日朝鮮人に帰る国はありません

    特別永住者や在日朝鮮人の2世3世、現在は4世までいるようですが、彼らの出身国たる朝鮮は南北に分断されて実在していません。また、現在彼らが 有している韓国籍、朝鮮籍といったものは、実質的に形式的なものです。特に特別永住者の朝鮮籍は、日本が便宜的に創設したという経緯があります。

    在日3世以降になると、朝鮮語もしゃべる事が出来ず、しみついた日本の習慣などもあって、例えば韓国で一時的に生活しても、馴染めない。韓国も日本に居住している在日朝鮮人に対して、日本に屈服しているなどの理由によって、差別的な扱いを行う。などがあります。

    彼らは完全な民族的なマイノリティとなって、帰る国も失い、日本での決して歓迎されていない生活を送るしかないのです。

    日本において永住外国人の国籍取得は容易ではありません。

    数十種類の書類提出、数度の窓口審査などの難関が待ち受けています。
    通常は行政書士の助力を受けないと、国籍取得はスムースに行われません。この費用に数十万を要すると言われています。
    また、出身国の国籍放棄が課せられるため、国籍取得が出来ない人が沢山います。

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  5. 永住外国人地方参政権の法的根拠。

    憲法15条1項
    公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。

    これを以て外国人地方参政権を憲法違反とする主張には、いくつかの疑義がある。

    国民固有という文言は国民のみに限られたものと解釈出来ないからである。憲法の公定英訳や1953年の法制局の解釈(高辻回答)によると、固有という意味は、公定英訳(Inalienable:権利などが譲渡出来ない、奪えない)、また法制局の解釈として「譲り渡す事が出来ないとか、奪ってはなら ない」となっている。

    従って国民固有とは国民から奪ってはならないという意味であり、国民から奪わなければ、「永住者等」にも認める事をこの文言は禁止していない。

    また、日本国民の法的解釈も必ずしも国籍法の定義のみに準拠していない。

    例えば、国民年金法は1981年に改正され、国籍要件が撤廃されたので、国民年金法上の国民は既に日本国籍保持者を意味するものではなくなっている。行政不服審査法の国民も外国人を含んでいる。

    日本の法体系において、国民が日本国籍者を意味するかどうかは、それぞれの法規定の趣旨に即して考えられており、国民と言う言葉は、必ずしも明確な意味を持っていない。多義的な用語である。

    憲法第93条2項 地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。

    地方自治法10条1項は、「住民」の定義を「市町村の地域内に住所を有する者」としている。同2項により、外国人も「住民」として、自治体の「役務の提供を等しく受ける権利」と「負担を分担する義務」を持つ。また、地方自治法242条の2に基づく「住民訴訟」における住民とは、外国人も含まれる。

    この住民訴訟において外国人も含まれるという事は、自治体の行財政を監視する権利を外国人も有しているということであり、これは広い意味での参政権の行使といえる。すなわち、地方自治体に対して外国人は既に住民としての参政権の一部を有しているということであり、既存の法制度が外国人の地方参政権を禁止する根拠とはなりえない事を示している。

    1995年の最高裁判決では「永住者等」の地方参政権を憲法が「禁止」していない旨を明言した。これは立法政策の問題であり、憲法を改正することなく、法律改正により永住者等の地方参政権が可能であることが明らかにされた。

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  6. 永住者等の地方参政権による地方のメリット

    地方自治法10条2項による、外国人も「住民」として、自治体の「役務の提供を等しく受ける権利」と「負担を分担する義務」を持つという項目を、地方が永住者等の地方参政権容認によってより実現できる。

    外国人住民の増加によって、住民自治が実現出来なくなる場面が生じている。それによって、外国人住民と日本国民住民との間に軋轢が生じるケースがある(例:愛知県豊田市)。これは地域の民主主義が欠乏し、不平等や偏見が生じる事による。永住者等を参政権などを通して、地域社会への参画を促すことにより、地方はこうした軋轢の解消または予防を期待する事が出来る。

    永住者等の地方参政権の導入は、こうした地域の民主主義の欠乏による不平等や争いを解消し、あるいは予防し、地域社会の安定、安全を保障するメリットを持つ。

    愛知県豊田市のケースでは、住民間のトラブルが悪化し、公営住宅からの転居が続出し、空き室が増大するという問題が発生した。こうした問題への解決アプローチとして、日系の永住者が住民間の調整に入って、徐々に相互理解が深まって行ったという事もある。他にも、こうした活動を通して地域貢献をしている永住者は沢山いる。

    この事例の具体的メリットでいえば、国際化する地域社会においても、地方は公営住宅の住民間の諍いを予防出来、空き室増加による収益悪化などを未然に防ぐ事が出来る。住民にとっても、転居などによる望ましくない出費を抑える事が出来る。諍いを未然に防げるのだから、安全な社会を保て、平和に暮らせる、等が挙げられる。

    外国人を受け入れても、この様に安全な社会を実現できるのであれば、地方の労働力不足は解消される方向に向かう。外国人に対する社会保障コストも合理的な運用が可能となり、トラブル等による不必要な出費を予防できる。外国人労働者を受け入れたい企業にとっても有利となり、企業誘致、企業の収益改善が見込まれる。当然税収が上がる。

    大抵の外国人労働者を受け入れたい企業は、日本国民が就労したがらず、常に労働者不足、後継者不足に悩まされている。特に家族経営的な中小企業や、農漁村でこうした労働者不足が深刻化している。

    他国の例を見ると、外国人地方参政権の導入は賛否が分かれつつも、賛成が上回ってその導入にこぎつけた、という国が多い。それを見ると、日本において一定の反対者が生じるのもやむを得ないと思われる。しかし、外国人地方参政権を導入した国々において、その導入で地域不安や社会不安が生じた国は皆無である。導入後の世論調査結果においても、賛成者が上回って行くという傾向が確認されている。

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