2014年7月6日日曜日

複数国籍を考えるエッセイ4 国籍取得と喪失の変遷2

国籍法を見て行くと、とても不思議な事に気付く。国籍法が最初に発布されたときから、日本国籍の与えられる要件が「日本国籍を有する父の子」なのだ。これは国籍法が発布される以前に、既に日本国籍が存在していたということだ。要するに国籍法には、日本国籍が存在するための初期条件が欠落しているのだ。一体誰が最初に日本国籍を持っていたのだろう。

法文にはないが、順当に考えれば、明治政府が成立して最初に整えた戸籍に登録された人々が最初の日本国民なのだろう。これらの人々は当時、日本で生まれ、生活していたから日本国民になったといえる。

国籍が与えられる要件として、国籍のある者の子に生まれたことを条件とする制度を「血統主義」という。よって、日本の国籍法は「血統主義」をとっている。旧国籍法のように父親からのみ子に国籍を伝えられる制度を「父系血統主義」といいい、現行国籍法のように父親と母親の両方から国籍を伝えられる制度を「両系血統主義」という。因みに、母親からのみ子に国籍を伝えられる「母系血統主義」をとる国はない。調べたところみつからない。

しかし、血統主義だけを採用して国籍を与えるには無理がある。前述したように、そもそも国籍を最初に取得する人の親には当該の国籍がない。その国が成立した時、その国民である人達は、その国の領域で生まれ育った人々だ。一般にその国の領域で生まれた子に国籍を付与する制度を「生地主義」という。国が始まるとき、その国民となる人々は「生地主義」的な要件によって国籍が与えられる必要がある。

また、捨て子など両親の知れない子に国籍を与えるためには、血統主義では適わない。出自が知れないので、親から子に国籍を伝えることが出来ないのだ。こうした場合を想定して、旧国籍法でも「両親が知れず、日本で生まれた子」には日本国籍が与えられるとしている。これは限定的だけれど、生地主義だ。日本の国籍法の様に、原則としては血統主義を採用し、補足的に限定的な生地主義を採用する国は、ヨーロッパに多い。というか、日本の国籍法がヨーロッパの国籍法をひな形にして作られている。


日本が父系血統主義から両系血統主義へと移行したように、ヨーロッパの国々も父系血統主義から両系血統主義へと移行していったという歴史的経緯がある。現実的には、まずヨーロッパが両系血統主義へと移行し、それに追随して日本も両系主義に移行したといった方が正しい。理由は、母親から子へ国籍を伝えられないのは男女差別だからだ。一般的に、長い歴史と伝統を持つ国家は血統主義を採用し、アメリカを代表とする歴史の浅い移民国家は生地主義を採用している。

複数国籍を考えるエッセイ5 国籍取得と喪失の変遷3

旧国籍法では、外国人と結婚した女は日本国籍を失った。この規定は日本の家制度の影響を色濃く受けている。すなわち、外国の他家に嫁いだ女は、嫁ぎ先の国民となるべきだ、という考え方だ。しかし、諸外国は日本の家制度とは異なるそれぞれの伝統があり、法律がある。例えば、英国は自国民に国籍喪失をさせることに極めて消極的だったし、フランス人の女も結婚によって国籍を失うことはなかった。スイスもフランスと同様に、スイス人と結婚した女にはスイス国籍が与えられたが、スイス人の女が結婚によってスイス国籍を喪失することはなかった。これは無国籍を防ぐという観点からだ。

日本の旧国籍法のように、結婚により女から強制的に国籍を喪失させると、結果的に無国籍を招く。国によっては外国人妻の国籍取得に色々な条件があるからだ。結局日本も、外国人との結婚によって外国籍を取得できない場合は日本国籍を維持できるという法改正を迫られた。現行国籍法ではこの条項がそっくり削除された。

日本の国籍制度は家制度を礎として、基本的には男尊女卑なわけで、男の帰化に際しては優しかった。帰化した者の妻子にまで国籍が与えられた。一方で自己の意志で外国籍を取得した者には一貫して国籍を喪失させている。外国籍の取得、すなわち他家に仕えるという発想なのだろう。こうした認識もヨーロッパでは薄い。典型的な例は、中世の英国王。フランスのノルマンディ公が海を渡って英国に侵略し王様になってしまった。なので、英国では王、フランスでは国王の家臣という二つの地位を有していた。それで問題にもなっていない。

明治維新以降、日本は国民総下級武士化したようだ、そもそも明治維新を成し遂げた中心が薩長の下級武士だった。血統を重んじ、かつ清貧にて忠誠心に厚い、そんな武士像を国民に押し付けたのではなかろうか。四民平等、廃藩置県、そして大日本帝国憲法で国民は皆帝国臣民とされた。

旧国籍法では、子供の認知によっても国籍が与えられた。因みに認知による国籍付与はヨーロッパで多かった。日本もその点を学んだようだ。しかし、戦後これが削除された。最近になって現行国籍法でも認められてきたが、最高裁の違憲判決が出て政府は重い腰を渋々あげたのだった。旧国籍法は、家制度の影響で外国人と結婚した女には冷たかったが、当時として国籍付与には欧米並みの寛容さがあったといえる。


さらに、明文化されている訳ではないが、日本人と結婚した外国人の女には複数国籍が黙認されていたし、日本人夫と外国人妻の間に生まれた子や外国で生まれて外国籍を得た子についても、複国籍が黙認されていた。明文化されていないので積極的に認められていたという訳ではないが、限定的な条件のもと、複国籍が合法的に容認されていた、という解釈も出来るだろう。