2014年7月6日日曜日

複数国籍を考えるエッセイ5 国籍取得と喪失の変遷3

旧国籍法では、外国人と結婚した女は日本国籍を失った。この規定は日本の家制度の影響を色濃く受けている。すなわち、外国の他家に嫁いだ女は、嫁ぎ先の国民となるべきだ、という考え方だ。しかし、諸外国は日本の家制度とは異なるそれぞれの伝統があり、法律がある。例えば、英国は自国民に国籍喪失をさせることに極めて消極的だったし、フランス人の女も結婚によって国籍を失うことはなかった。スイスもフランスと同様に、スイス人と結婚した女にはスイス国籍が与えられたが、スイス人の女が結婚によってスイス国籍を喪失することはなかった。これは無国籍を防ぐという観点からだ。

日本の旧国籍法のように、結婚により女から強制的に国籍を喪失させると、結果的に無国籍を招く。国によっては外国人妻の国籍取得に色々な条件があるからだ。結局日本も、外国人との結婚によって外国籍を取得できない場合は日本国籍を維持できるという法改正を迫られた。現行国籍法ではこの条項がそっくり削除された。

日本の国籍制度は家制度を礎として、基本的には男尊女卑なわけで、男の帰化に際しては優しかった。帰化した者の妻子にまで国籍が与えられた。一方で自己の意志で外国籍を取得した者には一貫して国籍を喪失させている。外国籍の取得、すなわち他家に仕えるという発想なのだろう。こうした認識もヨーロッパでは薄い。典型的な例は、中世の英国王。フランスのノルマンディ公が海を渡って英国に侵略し王様になってしまった。なので、英国では王、フランスでは国王の家臣という二つの地位を有していた。それで問題にもなっていない。

明治維新以降、日本は国民総下級武士化したようだ、そもそも明治維新を成し遂げた中心が薩長の下級武士だった。血統を重んじ、かつ清貧にて忠誠心に厚い、そんな武士像を国民に押し付けたのではなかろうか。四民平等、廃藩置県、そして大日本帝国憲法で国民は皆帝国臣民とされた。

旧国籍法では、子供の認知によっても国籍が与えられた。因みに認知による国籍付与はヨーロッパで多かった。日本もその点を学んだようだ。しかし、戦後これが削除された。最近になって現行国籍法でも認められてきたが、最高裁の違憲判決が出て政府は重い腰を渋々あげたのだった。旧国籍法は、家制度の影響で外国人と結婚した女には冷たかったが、当時として国籍付与には欧米並みの寛容さがあったといえる。


さらに、明文化されている訳ではないが、日本人と結婚した外国人の女には複数国籍が黙認されていたし、日本人夫と外国人妻の間に生まれた子や外国で生まれて外国籍を得た子についても、複国籍が黙認されていた。明文化されていないので積極的に認められていたという訳ではないが、限定的な条件のもと、複国籍が合法的に容認されていた、という解釈も出来るだろう。

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