2010年1月19日火曜日

―複国籍の容認は私的な要望に過ぎないという意見に対して―

複国籍の容認は公益に関わるもので、速やかに進められるべきである

―複国籍の容認は私的な要望に過ぎないという意見に対して―

複国籍PT 代表 高川 憲之
2010年1月1日

複国籍の容認は、時々耳にする、自分勝手な要望というものでは全くない。この要望が国会請願としてある女性団体からも提出されていることなどを根拠に、女性差別的な観点も含めて、そう叫ばれているようであり、大変残念だ。複国籍の容認はもはや公益に関わるもので、個人の枠を超えて速やかに進められるべきである。特に、国民主権という立場から、国民が国際社会の中で十分活躍出来るよう、また国が国民や無国籍となった人々へ人権侵害を行わないよう配慮し、成人の複国籍容認を幅広く行う事が必要である。

この理由として、15の要点をまとめた。

1.単一国籍制度は破たんしており、出生による複国籍者だけでも60万人以上とみられている。

2.単一国籍制度は無国籍者を多数生んでおり、人権侵害を引き起こしている

3.単一国籍制度が欠陥を有しているという事は、世界的に認識されている。

4.複国籍に不容認な国は、政府によって国民から国籍を一方的に喪失させる側面を持ち、国民という国の資源を減らす。

5.単一国籍制度が破たんしているのに、法的整備を行わないのは遵法の精神を損ない、法治国家の根幹に関わる。

6.政府が一方的な国籍喪失を強行すれば、社会問題となる。

7.日本弁護士連合会も、国籍選択制度など、国が国籍を喪失させる制度は人権侵害につながるとしている。

8.政府が国籍喪失を強行せず、制度を形骸化(事実上の複国籍黙認)させることで社会問題化を抑えている反面、出生による数10万人規模の複国籍者に不安と混乱を与えている。

9.国外長期在留者は様々なハンデを乗り越えて生活基盤を築いている、その過程で居住国の国籍取得が要請される。しかし、日本の国籍制度はこれの障害となり、長期在留者の活動を制限している。海外在留者にとって日本国籍の放棄は様々な理由によって困難。

10.長期在留者の活動を制限することは、国際関係の深化も制限し、国にとっても不利益を招く。

11.複国籍は国際的に活躍する日本国民の活躍の場を広げる。ノーベル賞学者やオリンピック日本代表選手、芸術家、歌手など具体的な事例も多数ある。

12.日系移民は日本の貧しさが作り出した棄民であって、複国籍の容認を含めた彼らへの支援が必要。

13.海外へ活躍の場を求める日本国民の増加は、日本が国際化を求めた当然の帰結。自分勝手な道を歩んでいるという批判は当たらない。

14.日本国は国民を保護する義務があり、海外在留国民の利益も保護する義務がある。しかし、複国籍の不容認によって国民は不利益を被っている。

15.国が国民から国籍を喪失させる権力を有するのは国民主権に矛盾し、権力を背景とする官僚の国民支配の一因となる。

単一国籍主義にはある一国が単一国籍制度を取っても、単一国籍を個人に徹底出来ないという制度的な欠陥をもっている。その代表的な例が、出生による複国籍だ。両親が異なる国籍を有している場合、子はそれを引き継いで複国籍となる。日本はこれに国籍選択制度を課して、単一国籍を法制上維持しているが、すでに出生による複国籍者は60万人以上とみられ、事実上破たんしている。

単一国籍制度を持つ国には無国籍者が多数生じることも知られている。単一国籍を維持するため、国籍取得要件を厳しくする結果、日本で出生したり、生活するにも関わらず日本国籍が取得できず、無国籍となる人々が多数発生する。無国籍に関して言えば、これをあらゆる国家権力からの離脱という側面で、肯定的に考える向きもあるが、人権擁護の観点からすれば、著しい不利益となる。たとえば、日本の無国籍者が海外渡航する場合、大変な制限を被る。

この様に単一国籍制度が欠陥を有しているという事は、世界的に認識されていることで、欧州でも単一国籍主義を修正して複国籍容認へと向かっており、複国籍に不寛容なドイツにおいても、複国籍を成人後も認められるケースの方が多くなっている。

また、複国籍容認国と、複国籍不容認国との国籍を出生によって有した場合、政府によって国籍を喪失させられるのは複国籍不容認国からのみである。国力の源泉は国民にある。しかし、複国籍不容認国は国が一方的に国民を追い出す制度しか持たない。国民という国の資源を減らす側面を持つ単一国籍制度は公共の利益にも反する。

また単一国籍制度が制度として欠陥があり、現実的に破たんしている事自体、すでにこれは公共の問題と言わざるを得ない。法律が守られないのである。これは遵法の精神を損ない、法治国家の根幹に関わる。無論、単一国籍制度を徹底し、複国籍者から日本国籍を喪失させるという強制手段もあるが、一方の国籍国に生活基盤を持たない複国籍者から日本国籍を喪失させた場合、著しい社会問題になることは明白であり、ここにおいても公共の問題が発生する。

日本国内においては、日本国籍取得者が複国籍者であっても、その者は国から日本国民として扱われる。外国籍者としては扱われない。通常国籍を有する国民が参政権なども含めて、その国での権利を最も有利に行使できるのであるから、外国籍者として扱われない事に著しい不利益は生じない。外国に生活基盤を持つ複国籍者が日本に留学を希望し、日本政府の外国人留学制度を申請する場合、これを受けられないという不利益が指摘されているが、これに代替えとなる帰国子女受け入れ制度などもあり、その様な不利益には補完的な制度が用意されている。

日本国内において、複国籍の不容認が、例えば緊急の人権侵害上の問題にならない要因として、日本国内にあっては日本国民であることが、このように最も有利であり、他に選択肢もないことに起因する。日本弁護士連合会の提言において、国籍選択制度を廃止して、複国籍容認に日本は向かうべきとあるが、この文脈においても、日本国籍を喪失させる懸念の大変強い国籍選択制度は、日本国民であるという最も有利な権利を、国が喪失させるのは人権侵害につながるとの認識にある。それは確かに生命の存続に関わるほどの緊急度とは言い難い。

しかも、この国籍選択制度は徹底されておらず、複国籍者が国籍選択をしなくても、国籍喪失などの実質的な処分は今まで行われていない。また、現法務大臣の弁によれば、この処分はこれからも行われない。この様に国が法律を厳格に運用しないことによって、単一国籍制度がもたらす人権侵害は回避されており、社会的な問題にまで発展はしない。このような政府の姿勢による弊害は、単に制度の形骸化だけであり、今後この形骸化がさらに進んで行っても、この形骸化が緊急の社会問題として浮上することはなかなか考えにくい。しかし、60万人以上とみられる出生による複国籍者にとって不安と混乱を招くものであり、この数は年々増加を辿る。事実上の複国籍黙認はいずれ破たんする。

一方、100万人を超すといわれる海外在留日本人の中には、特に長期在留者を中心として、この複国籍容認問題は生活に直結する問題となる。日本と同様、生活国の国籍を有することは、その国での権利を最も有利に行使できるものであるからである。外国籍であるという事は、就職上、居住上、社会活動上の制限を受ける。

一般に外国での就業は言語、習慣等の違いにより困難を伴う。そうしたハンデを悪用した搾取にも遭遇しやすい。また地位が不安定で社会保障も限定的となることが多い。その反面、徴税のシステムはどの国でも整っており、居住国の国民と少なくとも同等の納税義務を負う。外国人労働者の社会統合という観点からも、長期滞在する場合、居住国の国籍取得が推奨される。外国人労働者が居住国で社会基盤を築きそれを固めれば固めるほど、居住国の国籍取得の要請が強まるのだ。

この様に、長期国外在留者は、多くの不利益を抱え込んで海外での生活を始め、それを克服しながら自己の生活基盤を築いていく。居住国の国籍取得はこの不利益の解消の一助となり、また長期滞在者に対して居住国もそれを推奨する。しかし、日本が成人の複国籍を認めないことから、日本国民の国外長期在留者は居住国の国籍取得が困難となっている。もし、居住国の国籍を取得したら、日本国籍を喪失してしまい、もはや日本国民ではなくなる。これは日本国民の国外活動の障害になっている。日本国籍は日本に帰国した際、あるいは日本に住む親類縁者とのつながりなどを考えると、自らが放棄出来るものではない。

国外での就職、居住、社会活動が外国籍の取得を認められないことで制限されたままとなることは、国民にとって直接的な不利益であるばかりでなく、国にとっても不利益を招く。国外在留の国民が居住国で築く基盤は、日本とその居住国とのつながりを深め、経済を含め国際関係の深まりの一助となる。そうした機会を日本が制限しているのだ。

国際企業で働く者、国外で日本からやってくる人々のために働くガイドや通訳、国外に日本文化を紹介する者、また国外で研究、芸術、芸能やスポーツを通じて活躍する人々にとって、複国籍の容認はより活躍の場を広げるものであり、日本と居住国の双方に利益をもたらす。

アメリカ国籍を取得し、研究活動を続け、ノーベル賞を取るまでに実績を積む研究者もいる。彼は日本国民ではない、しかしメディアは彼を日本人として扱う。そして彼にも日本人の精神が宿っている。彼が日本人として自然であるならば、法的な制度が日本国籍を喪失させる事自体に問題があるのは明白であって、これは彼個人の問題を超えて、公共の問題である。

最近ではフィギュアスケートのオリンピック日本代表選手で父親がアメリカ人の選手が出ている。母親が日本国民であるため、日本の国籍も受け継いで日本代表選手になった。こうした、有能な人物が幅広く国の代表として活躍出来るということは、無論有能な人物にとっても有益だが、国にも貢献することになる。この選手が将来成人を迎えて国籍選択を迫られるわけだが、場合によっては元日本国民が日本代表選手だった、ということになりかねない訳で、これは有能な人材の流出にもつながる。

日本国民が国外で活動する様になるのには様々な理由が存在する。過去において最も顕著であったのが、移民であって、これは国が先頭になって行った棄民であった。日本で生活苦にあえぐ人々を海外に追いやった。これらの人々の日本国籍の継承を最優先することは道義上の問題であって、かつ公共の問題だ。

近年においては、日本の国際化によって海外の活動の場を求める人も多い。こうした人々は勝手に日本を飛び出したと思われがちであるが、日本が国際化を求めた当然の帰結である。日本が義務教育によって英語を教え、国民が国際化することを奨励すれば、当然有能な人物を始め、様々な人々が海外に渡り、生活するようになる。こうした人々が、自分勝手な道を歩んでいるなどという批判に当たらないことは明白である。

日本国が国民を保護する義務を有し、その保護義務が海外在住の日本国民まで及ぶのであれば、海外在留国民の利益を保護していくのは、公共の問題である。それにも関らず、複国籍の不容認という制度を通じ、海外在留の日本国民に不利益を被らせているという現実がある以上、これは速やかに改められなければならない。

加えて、国が国民から国籍を喪失させる事が出来るという制度は、国民主権までも喪失させるという権力を国が有するということである。こうした権力を背景に官僚が国民を支配するという構図も成り立つのであるから、官僚主導の政治を改めるという観点からも、公益に関わるものと言えよう。

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